豚と呼ばれた女
さて、アレがナニしております。
わたしが認識できて、芸に感服した芸人さんは中川家で終わっているため、反社がどうの、闇営業がこうの、アレがナニしてだのって芸人さんのことは素で知りません。
ところが昨今の脱税問題が、愛してやまない『いだてん』に飛び火しました。該当する芸人さん出演シーンをカットしたとか。そうなっちゃぁ黙っていられません。
しかもその芸人さん、『いだてん』で、東洋の魔女を率いた大松博文監督を演じるっていうじゃありませんか。東洋の魔女って言ったらアレですよ、中学・高校とバレーボール部だった、うちの母のアイドルなんですよ。大松監督なんて言ったら神にも等しい存在だったんですよ。
その昔、ママさんバレーと呼ばれる活動が盛んでした。中学・高校とバレーボール部だったうちの母も、子育てがひと段落したころに意気揚々とクラブ入りしました。
そんなある日のこと、普段からテンションの高い母が妙に浮かれています。聞けば、かの大松監督が我が町にやってくるとのこと。オリンピックのあと要職に就き、いろいろあった大松監督は、当時日本中のママさんバレーチームを回ってトークショー&模擬練習をしておりました。
母は秒でイベントに申し込み、大松監督から直々にコーチを受けられる10名ほどのメンバーに選ばれました。当日までのアレはもう、ご想像のとおり。
そしてイベントも終わり、母は至福の表情で帰宅したのでございます。大松監督マンセー状態で。
「大松監督のコーチってどんな感じ?」当時小学生だったわたしは母に尋ねました。
「あのね、あのね、あたし、豚って言われちゃった!」
は?
そこで喜ぶか普通。激怒するところだろ? ママ、おじいちゃんがまだ生きてたころ、「こんな豚がどうのこうの」と言われるたびに腹を立ててたって言ってたじゃん。
「あたしのこと何度も、豚、豚って呼んでね、『この豚、見所がある』って言ってくれたの!」
でも豚はないよ、ママ。怒れよ。
てな感じで、母はその後1週間は地に足がついてません状態でした。なにせ時代は昭和、スポーツといったら重いコンダラを引っ張り、ウサギ跳びで膝をぶっ壊し、バレーボールといったら(それはドッジボールではありませんか?)みたいに体にボールをぶち当てるような“しごき”やら“体罰”が美化されていたころのおはなしです。
心も体もガチ体育会系だった母とは正反対で、小学校から短大まで文化部で通したわたしは、この“しごき”が大嫌いでした。悲しくなるほどスポーツが苦手だったというのも理由のひとつでしたが、スポーツができないやつは人にあらず的な両親の教えにも違和感がありました(父はめっちゃ足が速くて、サッカー部から陸上部に推薦されてインターハイ予選に出場しました)。ふたりとも何かあればわたしをひっぱたいておりました。それと体育会系精神との因果関係は依然として謎です。
とはいえ、あの日の母のはしゃぎようは、今もいい思い出として記憶に刻まれています。だからこそ、かの大松監督が『いだてん』で取り上げられると聞き、ちょっと、いや結構楽しみにしてたんです。
彼を演じる芸人さんの不祥事につき、編集が施される。
母の思い出にもハサミが入るような、ちょっとナニがアレする気分でございます。
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