肺を病みまして(1)当初、テクノストレスとしか思えなかった
よく沈黙するこのブログ、ある事情により書けずにおりました。
左肺胸膜炎により10日間入院しておりまして。
いくらピンチヒッターとして翻訳を引き受けたとはいえ、村井理子さんに引き続き、こっちは肺を病んで入院とは。「心肺へたってますけど大丈夫」とコンビ名を改称するべきかと考えております
変調のはじまりは18日深夜。夫氏と調子こいて酒呑んでたら胸が痛い。痛い痛いと訴え、夫氏トリアージに電話した結果、速攻救急車に乗ることに。近所の救急対応病院で検査を受けましたが異常なしとのことで帰されました。
そのころ、EUが5月25日から施行するGPRSという規則がらみの実務翻訳で、毎日休むことなく仕事を続けていました。わたしのクライアントは「拘束料金」というのをくださり、一定ボリュームの仕事を毎日こなすことを条件に拘束料を上乗せするという決まりになっていました。がっつり儲けて秋には台湾にでも行くかなーとホクホクしながら働いていたときの胸の痛み。こりゃトラックボールの使いすぎだと勝手に判断し、リンパドレナージュで鎖骨の乳酸を脇の下まで送ったら治ったとかどうとかTwitterで自慢することしばし。
しかし、痛みはおさまらず、熱が出て来る始末。筋肉が炎症起こしたかなー、でも仕事はノンストップでどんどん入ってくるし、拘束料もらってるし……鎮痛解熱剤でなんとか37度以下まで下げながら仕事を続けていましたが、どうも変だ。
5月25日。出版翻訳の師匠であるH先生と門下生一同で呑む約束がありました。熱が高いので欠席しますとメールを書きました。本人意外とのんきに構えていて(というか、熱でネジが飛んでたのかもしれません)「先生、わたし熱が出て5キロ痩せたんです!」など書いてメールを送ったら、
「熱が続くのはいい兆候じゃないから、一回病院に行ってきたら?」
とのお返事が。
そのころ熱は39度を超え、とにかくこの熱を下げなければ。もう市販薬じゃダメ、内科で解熱剤を処方してもらおうと、歩いて300メートルほどの距離の内科クリニックに行こうとしても、歩いていくことすらできず、夫氏に車で送ってもらい、受診。
ひととおり心臓まわりの検査を受け、ふたたび診察室に入ったとたん、先生がおっしゃいました。
「大変なことになっちゃったよ」
続きます。
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