その時偉人は呑んだ
お酒で記憶をなくして、いいことなんてひとつもありません。
……としめくくった前回のブログ。そこからいきなりこのコラムへと話が進みます。
その時偉人は呑んだ
左右社さんのサイトで好評連載中のこのコラム、毎回文壇とその周辺で活躍した偉人たちの呑みっぷりが赤裸々に描かれ、その壮絶なエピソードに思わずのけぞったり笑ったり。読みのがしてはなるものかとブログをフィードして更新を待っております。
連載第15回は、筑摩書房創業者の古田晃氏のエピソード。
気が弱い人の中には、照れや恥じらいをかくすために鯨の如く呑んでしまう人がいる。「酒を呑まなきゃいい人」とはよく聞くが、本人は酒が呑まなきゃ何もできなかったり、いい人に映る自分がしんどかったりするのである。呑まなきゃやっていられないのだ。
そう、前回書いたX生産部長は聞くところによると、とても温厚で気弱な方だったとか。職場での彼はとても真面目で、まさに「酒を呑まなきゃいい人」でした。
このコラムのいいところは、決して偉人の呑みっぷりを褒めたりせず、むしろ突き放したところで論じていること。作者の栗下さんはお酒がお強く、お酒の上での失敗もそれなりに体験してこられたのではないかと思います。でも「酒豪かっけー」なんて礼賛はひとかけらもなく、情け容赦なくぶった斬っているようでいて、「でもその気持ちわかるよ」という一滴の優しさをふりかけてある。
これがいいんだ。
あとちょっと話がずれますが、今回の栗山さんのコラムにもあります「俺の酒が飲めないのか」的なアプローチ、嫌いです。有無も言わせず俺の酒につきあわせるのではなく、「今日は飲むぞ」と腰が据わった連中でどどんと繰り出す。飲むんだったらそれ一択です。だってそのほうが楽しいしね。
と、栗山さんに一方的なラブレターを書いて、今日は終わりにします。
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